JRジャヤワルダナさんの物語 〜もうひとつのJR〜

スリランカの元大統領、JRジャヤワルダナ(Junius Richard Jayewardene)さんの幼少期や学生時代、家族の話、仏教へ改宗した話などを知ることができます。現地取材や伝記を翻訳した情報など、日本で最もジャヤワルダナさんの情報を知ることができるサイトを目指しています!

JRさんのご先祖様〜Part 1 Don Adrian(エイドリアン)編〜

今日はJRさんのご先祖様のお話です。

 

JRさんのご先祖が初めて歴史に登場するのは18世紀頃。セイロンでJRさんの父方の高祖父にあたるドン・エイドリアン(以下エイドリアンさん)が歴史に名を残します。高祖父というとちょっとイメージが湧きにくいと思うので、家系図を載せておきます。

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参照元URL:https://www.wikitree.com/genealogy/Jayewardene-Family-Tree-4

 

右上の赤線で囲われてる人が今回お話しするエイドリアンさんです。もとはインドの商人の地区に祖先を持つ家系だそうで、彼が歴史に登場する18世紀末にはすでにセイロンに帰化していました。

 

さて、本題に入りますがこの人はなにをして歴史に名を残したのでしょうか。

 

一言でいうとオランダ・イギリスによるスリランカ支配の協力者として、です。JRさんはナショナリストで西欧列強の支配には断固反対のようなイメージがあるため、高祖父のエイドリアンさんもそうなのかなと思いきや、実はそうではありませんでした。西欧列強による支配において土着の人の協力は大変重要であり、エイドリアンさんもその役割を担う一人でした。伝記にはこうあります。

”It would seem that the task of the colonizer (植民地開拓者) was eased (楽にする)immeasurably( 計り知れないほど) by the ready availability of such indigenous (土着の) collaborators(協力者)

.....省略.....

Every elite family which can trace(遡る) its history beyond the mid-nineteenth century would have several ancestors who were collaborators of the intruding (〈意見などを〉押しつけるような) western powers(西欧列強) and indeed took pride in(誇りに思う) their role.Don Adrian Jayewardene was a notable(顕著な) example of this category of person.”

(引用:J.R. Jayewardene of Sri Lanka a Political Biography: 1906-1956 part 1 )

(訳:植民地開拓者の仕事はそのようなすでに利用可能な土着の協力者によって計り知れないほど楽になったようだ。19世紀半ばを超えて歴史を遡ることのできるすべてのエリート家庭は押しつけがましい西洋列強の協力者であり、そのことについて誇りを持っていた祖先を幾人か有するだろう。ドン・エイドリアンはこれに分類される人物の顕著な例であった。)

 

軽く皮肉られてる気もします(笑)が、JRさんのルーツや高祖父エイドリアンさんの人物像が大まかに見える一節だと思います。

 

さて、そんなエイドリアンさんですが、具体的にどんなことをしていたのでしょうか。エイドリアンさんの生き様を以下で見ていきましょう。

 

まずはエイドリアンさんが活躍した時代からおさらい。

 

エイドリアンさんが活躍した18世紀末~19世紀半ばは西欧各国が植民地を取り合ってドンパチやっていた頃。日本では徳川幕府による政治が真っ盛りくらいでしょうか。長崎の出島にオランダ商館ができたりオランダに関する蘭学杉田玄白の解体新書がでてくるのが18世紀ごろであり、また19世紀の初頭にはイギリス・アメリカ・ロシアが日本と交易を開始するために江戸幕府にさまざまな要求をしています。これら日本史からも西欧列強の世界進出が見て取れます。インド洋の海上交易に重要な役割を果たし、シナモンの産地であったセイロンはこれら西欧列強の影響を強く受けていました。16世紀から17世紀半ばの150年間はポルトガル、1657年からはオランダ、1796年からはイギリスによって支配されます。

 

エイドリアンさんはオランダからイギリスに支配が転換される時期(1796年)くらいに、intelligence agent、つまりオランダ側スパイとして活動していました。活動のさなか、残念なことに彼はイギリスにつかまってしまいます。この時代、捕まったスパイの命運はお察しでありまして、エイドリアンさんも同様のはずでした。しかしイギリス側がエイドリアンさんの口達者さ、頭の回転のはやさ、そして頑固なまでにオランダ側の情報を漏らさなかった点を評価してこれは有能だということでエイドリアンさんを殺さずに置いておいたそうです。さすがはJRさんの祖先。

 

エイドリアンさんはMudaliyar(=首領職。補足記事あり!)としてイギリスに仕え、最終的には政府機関紙-the govenment Gazzete-に死亡記事と賞賛の言葉が書かれるほどになりました。さすが、JRさんのご先祖さまですね。

 

以上、JRさんのご先祖様〜Part 1 Don Adrian(エイドリアン)編〜でした。

補足記事はこちら。

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

【世界遺産】キャンディ仏歯寺

  

次に紹介するのは、シンハラ王朝最後の都が置かれた町で、街全体が世界遺産として登録されている『キャンディ』です。

 

セイロン島の中心部、標高500mほどの盆地に位置し、現在も人口12万5000人ほどの主要都市のひとつとして栄えています。

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引用元:いい旅スリランカ

 

 

仏歯寺とは??

ここキャンディには、ブッダの犬歯を祀る仏歯寺があり、多くの仏教徒たちが祈りを捧げるためにやってきます。

紀元前4世紀にインドで火葬されたブッダの犬歯は、スリランカにもたらされて以来、王権の象徴として遷都とともに移動を繰り返してきました。

現在まで残るキャンディの仏歯寺が建てられたのは1603年のことです。

 

仏歯がおさめられた豪華な仏舎利塔が置かれている部屋は、一日に3回

「プージャ」と呼ばれる礼拝の時間にのみ公開され(仏歯そのものは厳重に守られており直に見ることはできない)熱心に祈りを捧げる人々や観光客で寺院はつねに賑わっています。

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ブッダの歯を祀る、キャンディの仏歯寺   引用元:the.trip-u.com

 

 

 

2011年にはアジアの仏教を国際別に展示する「国際仏教博物館」が設立され、もちろん日本の展示コーナーもあります。

honganjifoundation.org

 

 

また、1年に1度、毎年夏に行われる「エサラ・ペラヘラ祭」では、この仏歯を背に乗せた象をはじめとして、約100頭の象が隊列を組んで行進し、人々は仏歯を祀る意を込めて熱狂的な伝統舞踊のキャンディアン・ダンスを舞うことで有名になっています。

象は電飾を飾りつけた布をまとい、仏歯寺もライトアップがほどこされ、さらにダンサーの持つたいまつが夜の街を明るく照らし、その壮麗さは仏教徒のみならず世界中から集まる観光客をも魅了する姿は一度は目にしたい光景でしょう。

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引用元:いい旅スリランカ 

 

 

Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約3時間。

[入場料]仏歯寺:1,000ルピー

[Google Map]

 

 

 参考文献

【スリランカ仏教の原点!】仏陀の歯をまつる仏歯寺と、世界遺産キャンディの見どころ | いい旅スリランカ

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【世界遺産】古代都市ポロンナルワ

 

次に紹介する3つ目の世界遺産は、『古代都市ポロンナルワ』

10世紀から12世紀までシンハラ王朝の首都があった場所で、仏教都市として繁栄を極め、全盛期にはタイやビルマなどからも僧たちが訪れていたと言われています。

 

ポロンナルワってどんな場所??

アヌラーダプラに次ぐ、スリランカ史上第二の古代都市となるこの地は自然の地形を活かして、宮殿、寺院の跡や仏像が今も充分に残されています。

その中でも、ポロンナルワ観光における1番の目玉といえるのは、パラークラマ・バーフ1世によって建造されたた「ガル・ヴィハーラ」でしょう。

 

巨大な1枚岩に刻まれたこの仏寺院は最高傑作と言われており、仏像は4つあります。

2つの座像、立像、涅槃像。

 

一つ目の座像は、精神集中して瞑想にふける表情が現れており、二つ目の座像は、1つ目の座像より小さく、洞窟の内部に収まりヒンドゥー神像に囲まれています。

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引用元:世界遺産ポロンナルワ | いい旅スリランカ

 

 

三つ目の立像は、悟りを開いた仏陀の姿を表しています。目元や胸の上で腕を組む姿から、仏陀の深い情けが伝わってくるようです。

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引用元:壁紙.com

 

 

四つ目の涅槃像(ねはんぞう)は、流線形のなだらかな姿態に穏やかさが表現されています。

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引用元:癒し憩い画像

 

 

また宮殿跡の北には、圧倒的巨大さを誇るランカティラカ寺院の遺跡がそびえています。

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引用元:世界遺産を巡る旅

 

寺院の奥に安置されている仏像は頭部を消失してしまっているが、それでも高さ13mを誇り、さらに、風雨にさらされながらもその形をとどめる、外壁や柱に施された細工の美しさは一見の価値があるものばかりです。

壮大さと繊細さを併せ持って中世をいまに伝えるポロンナルワ随一の遺跡でしょう。

 

 

また、当時、仏教の中心地とも言われていた「クワドラングル」では、城壁に囲まれた中に存在する11の建築物を見ることができます。シンハラ王朝時代には仏歯を納めていたお寺がありました。

クワドラングルとは四辺形という意味なんですが、遺跡は丸みを帯びています(笑)

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Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約5時間。キャンディから車で約4.5時間。

[入場料]25ドル

[Google Map]

 

 

参考文献

【古代の仏教遺跡群を見られる】世界遺産ポロンナルワ | いい旅スリランカ

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【世界遺産】古都シギリヤ

 

狂気の王カーシャパが地上200mに築いた宮殿跡で、ジャングルの中を歩いて行くと姿を現す要塞のような四角い岩山。

これが2つ目に紹介する世界遺産シギリヤロック』です。

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引用元:地球の歩き方[旅スケ]

 

シギリヤロックってどんな場所??

スリランカ旅行で1番の人気を誇り、鉄製の急な階段を登って頂上の宮殿跡に立つと360度下界を見渡すことができ、まるで天空の城にいるような気分になります。

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引用元:いい旅スリランカ

 

このシギリヤをスリランカで1番とも言うべき有名な観光スポットにさせ多くの観光客を集めているのには、シギリヤ・レディと呼ばれる岸壁に描かれたフレスコ画の美女壁画のおかげでしょう。

 

強風の吹きすさぶ宮殿跡とは対照的に、1500年を経た今も穏やかな微笑みをたたえています。現在見ることができるのは18体のみですが、当時は岩肌に500人ほどの女性が描かれていたそうです。

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引用元:遺跡ときどき猫

 

シギリヤロックの悲しい歴史

「獅子の岩」の意味を持つここシギリヤの巨岩を中心に都市が築かれたのは、5世紀のことでした。「東洋のマチュピチュ」とも評される空中都市は、実は悲しい歴史を持っています。

 

 当時シンハラ王朝を治めていたダートゥセーナ王には、平民出身の側室との間に生まれた長男カーシャパと、貴族生まれの正室との子で次男モッガラーナがいました。

弟に王位継承されることを恐れたカーシャパは父を幽閉して王位を奪い取り、その後殺害。しかしインドに落ち延びて難を逃れた弟からの報復を恐れ、カーシャパはアヌラーダプラからここシギリヤに都を移し、地上から遠く離れた岩山の頂上に、要塞のごとき空中楼閣を築きました。

父王殺害から18年後、弟モッガラーナが兵を率いてシギリヤに攻め入り、追い詰められたカーシャパは喉を掻き切って自らの人生に幕を引きました。

建設には7年の時を要したという王都はじつに短命なものでした。

石造りの立派な王座が残っていますが、カーシャパはそこに座しながら常に弟の襲来を恐れていたのでしょうか。。

 

 

世界遺産シギリヤロック。

悠久の時を超えて美女たちの静かな微笑みを残し、周囲360°の絶景を併せ持っているかつての王都は、一度は訪れたいスリランカ隋一の観光ポイントではないでしょうか。



Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約4.5時間。

[入場料]30ドル

[Google Map]

 

 

参考文献

「感動を味わえる絶景!」世界遺産シーギリヤロック | いい旅スリランカ

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【世界遺産】聖地アヌラーダプラ

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引用元:スリランカ世界遺産地図 - 旅行のとも、ZenTech

 

 

前回の記事で紹介したように、スリランカには、北海道の約8割という国土に6つの文化遺産2つの自然遺産の計8つの世界遺産が点在し、観光資源に大変恵まれた国ということが分かると思います。

 

今回はその内の一つ『アヌラーダプラ』について紹介していきたいと思います。

 

 

聖地アヌラーダプラ ってどんな場所?? 

聖地アヌラーダプラは、紀元前4世紀から約1400年間という長きにわたり、シンハラ王朝の首都が置かれていたスリランカ最古の都で、この地にインドから伝わった仏教が各地に広まりました。

 

特筆すべきは、このブログのテーマであるJRさんとゆかりのある地ということです!

J.R.ジャヤワルダナ氏は16際の時にこの地を訪れ、ここでエッセイを書き、彼の通っていた大学のカレッジ雑誌に論文として寄稿していたそうです。

一般的に観光する人にとってはただのイチ世界遺産の地であるかもしれませんが、とても重要な場所ということでしょう。

 

 

 

また、「聖地」と呼ばれるのには、スリー・マハー菩提樹の存在があるからでしょう。

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引用元:カフェを訪ねて三万里

 

インドのブッダガヤからもたらされた、ブッダがその根元で悟りを開いたとされる菩提樹の分け木がこの地にあります。

インドの菩提樹は焼失したため仏陀が覚りを開いた瞬間を唯一記憶している聖なる木とも言われており、数千年の時を超えた今も信徒たちがこの場所で祈りを捧げています。

 

また、アヌラーダプラは、遺跡の残る聖域地区、旧市街、新市街の3つの地区に分けることができ、仏教都市として発展したこの地には、”ダーガバ”と呼ばれる巨大な仏塔が聖域地区に3つ存在します。

 

シンボルとも言える「ルワンウェリ・サーヤ大塔」

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引用元:takaji-ochi.com

 

紀元前2世紀、タミル人の侵略を阻止したことで現在も英雄王と称えられるドゥッタガーマ王により建設が開始されました。王自身は大塔の完成を見ることなく没したが、事業は息子によって引き継がれて完成しました。

 

 

もっとも古い仏塔は「ジェータワナ・ラーマヤ」

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引用元:ジェータワナ・ラーマヤ | スリランカ 旅行まるわかりガイド

 

紀元前3世紀にアヌラーダプラを治めた王のひとり、マハーセーナ王が建てたと伝えられています。7300万個のレンガを使って建てられ、建設当時は122mと、スリランカでもっとも高い仏塔でした。

 

 

現在残る仏塔として最も大きい「アバヤギリ大塔」

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引用元:海外旅行記 女性ひとり旅のブログ

 

紀元前1世紀に建てられ、建設当時は110mで現在でも75mを誇っています。今は断絶してしまったスリランカ大乗仏教の総本山で、多くの信仰を集めていました。

 

 

そして、寝釈迦像が存在する「イスルムニヤ精舎」

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引用元:いい旅スリランカ

 

紀元前3世紀、スリランカ仏教が伝わった直後スリランカで初めて仏教を受容したデーバアナンピヤ・ティッサ王が、アヌラーダプラを仏都とすべく、その第一歩として建てられました。

 

 

 

南インドのチョーラ王朝からやってきた人々に追われて、ボロンナルワへ遷都(せんと)して以降は廃墟と化し、19世紀イギリス人によって発見されるまで、アヌラーダプラの存在は忘れ去られていたそうです。

ユネスコ世界文化遺産に登録されたのは1982年のことでした。



Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約4.5時間。

[入場料]30ドル

[Google Map]

 

 

参考文献

118 スリランカの仏教遺跡巡り(1)アヌラーダプラ(aイスルムニヤ精舎) - 石仏散歩

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

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