JRジャヤワルダナさんの物語 〜もうひとつのJR〜

スリランカの元大統領、JRジャヤワルダナ(Junius Richard Jayewardene)さんの幼少期や学生時代、家族の話、仏教へ改宗した話などを知ることができます。現地取材や伝記を翻訳した情報など、日本で最もジャヤワルダナさんの情報を知ることができるサイトを目指しています!

【バワ建築】国会議事堂

①【国会議事堂(National Parliament)】

バワ建築でまず最初に紹介したいのはなんといっても「国会議事堂」です。

スリランカの首都スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに存在する建築物で、

このブログの最大のテーマであるJ.R.ジャヤワルダナさんと接点のある作品です。

 

1979年、JRさんは入札で国会議事堂を作る人を呼びかけず、ジェフリー・バワ氏に直々に国会議事堂を設計するように依頼をしたそうです。

バワ氏はJRさんと交流があったと言われており、このやり取りからも2人が大きな信頼関係を築いていたことが想像できます。

この建築が2人をつなぐ象徴的な場所と言えるのではないでしょうか。

 

また、建設委員会が1972年に発足し、日本の企業(三井建設)が建設を担っており、改修工事も日本企業の協力が進んでいます。

建設資材も日本から多くを輸入したそうです。

「アジアのどの国も親近感をもってもらえるような建物」をコンセプトにバワは設計を担いました。

日本とスリランカをつなぐ重要な場所とも言えるでしょう。

 

※事前に連絡をすれば内部見学もできます。

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引用元:プレジャーハンターの旅日記

 

 

Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約15分

[料金]無料(パスポート提示あり)

Google Map]

 

 

参考文献

lankanewsweb.net

平成26年9月7日 日本スリランカ・ビジネス・フォーラムにおける安倍総理スピーチ | 平成26年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ

スリランカの国会議事堂を見学 - 旅倶楽部「こま通信」日記

 

ジェフリー・バワ

観光客として諸外国を訪れる際、世界遺産は最も一般的で人気な観光地だと思います。

 

しかし、ここからは個人的にオススメしたい観光地と、このブログの最大のテーマである”JR”さんと関わりのある人物を紹介していきたいと思います。



 

【ジェフリー・バワとは(Geoffrey Bawa)】

みなさんは「ジェフリー・バワ」という人物をご存知でしょか??

建築に興味を持っている人はもしかしたら知っているかもしれませんね。

20世紀の建築界において、アジア人建築家の中でも最も影響力のある人物の一人で、数多くの作品を残している建築家。

それがジェフリー・バワ氏です。

f:id:srilanka-jr-japan:20170221095603j:plain引用元:*Travel Note*

 

アジアンリゾートで数多く見られる”アジアならでは”のリゾート建築スタイルの源流を作った人物が、スリランカを代表する天才建築家”ジェフリー・バワ”であることは、実は日本ではまだあまり知られていません。

 

バワ建築の特徴は、それまで外界と建築内部を塀や壁で仕切り、外敵や厳しい自然から人間を守ることを一つの主目的とした西洋建築に対し、

その地域の建築素材を活用し、屋外と屋内の連続性にこだわった開放的な空間造りをすることで、建築と地域の自然や風土・文化の共存や融合主目的とした建築コンセプトを生み出したことにあります。

このようなバワの建築コンセプトは、多くの建築家とインテリア・デザイナーに大きな影響を与えたとされています。

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2003年に享年84歳でその生涯を終えたため、現在はご本人に会うことは不可能ですが、スリランカには、バワの作品が今なお数多く残っており、現在でもその建築物を見に行くことは可能です。

実はバワ氏はJRさんととても強い信頼関係を築いており、今後紹介する彼の作品はJRさんと関係性の強いものがあります。

 

 

【ジェフリー・バワ略歴】

1919年7月23日コロンボ生まれ。

イギリス人とムスリムの間に生まれたバーガー(混血)の法律家の父親と、ドイツ・スコットランド・シンハラ人の血を引くバーガーの母親を持つ、エリート一家次男

 

幼少期から旅好きの母親に連れられヨーロッパや中国他アジア諸国を旅する。

父親と同じ法律家を志し、1938年19歳で英国のケンブリッジ大学に留学。

1946年1月、27歳でコロンボに戻り法律家として働くものの、11月セイロンに愛想を尽かし、ペナン・インドネシア・フィリピンを経由して米国・ヨーロッパを周遊。

 

1948年にイタリアに気に入ったヴィラを見つけ身を落ち着けようとするも、資金面を考慮してコロンボに戻る事を決意。

帰国後、イタリア風の庭園に英国風のカントリーハウスを建てようと、水辺の土地を探し始め、南西海岸に位置するベントータの土地(ルヌガンガ)を購入する。

 

ルヌガンガに自分が思い描いた庭園と家を建てるため、また他の人々のために家や庭園をデザインする夢を描き建築家になることを志す。

 

コロンボの都市計画に関わっていた英国の建築家Herbert Henry Reidのアシスタントを経て、1952年秋にケンブリッジへ戻り家庭教師を付けて土木工学と構造設計を学び、1954年5年生のロンドンの建築学校Architectural Association Schoolの3年次へ編入。1957年、38歳で建築家としての資格を得る。



次回のブログでは、彼の残した作品のなかで主な作品、そして「JRさん」「日本」という点で接点のある作品を紹介していきたいと思います!

 

 

【世界遺産】スリランカの中央高地

 

スリランカにある世界自然遺産のもうひとつが、

「ピーク・ウェルダーネス保護区」

「ホートン・プレインズ国立公園」

「ナックルズ保護森林」から成る『中央高地』エリアです。

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引用元:リオンロイヤル

 

 

中央高地は、標高2500m級や1000m級の山地に広がる高原の中に大小の森が点在します。シンハラジャ森林保護区に劣らぬ希少生物の宝庫で、スリランカヒョウなどの絶滅危惧種を含む多くの生き物が原始の暮らしを続けている地です。

 

ホートン・プレインズ国立公園にはワールドエンド(地の果て)と呼ばれる断崖絶壁があり観光客に人気のトレッキングスポットになっています。柵もなにもない崖の下は、はるか1000mの奈落になっており、そこからの見晴らしはまさに絶景です。

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引用元:西遊旅行

 

ピーク・ウェルダーネス保護区にあるアダムス・ピークは最高点2243mの聖山で、その頂上には直径1.8mの岩があります。そこに空いた穴が足跡に似ていることから、仏教徒には仏足跡、ヒンドゥー教徒にはシヴァ神の足跡、イスラム教徒とキリスト教徒にはアダムの足跡とそれぞれ信じられています。

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引用元:DTACスリランカ観光情報局 

仏教徒にとっては、この足跡はブッダの左足のもので、右足はタイにあると言われています。

アダムス・ピークという山の名はムスリムキリスト教徒に由来するものであり、仏教徒は仏足を守護するサマン神の山という意味でサマナラ・カンダと呼ばれています。

いずれにせよ、人間の信心深さと、スリランカが多宗教国家であることを表すエピソードになっています。

 

豊かな自然と過ごしやすい気候を擁する中央高地は常夏の地上とはまたひと味違ったスリランカを知ることのできる場所であるでしょう。



 

Informationインフォメーション

アダムス・ピーク

[アクセス]コロンボから最寄りの町ハットンまで車で約4時間。登山口となるナラタニヤへは車でさらに約1時間。ヌワラエリヤやラトゥナプラからのツアーもでています。

[入場料]無料

ホートン・プレインズ国立公園

[アクセス]ヌワラエリヤから車で約1.5時間。

[入場料]ワールズエンド:25ドル

 

[Google Map]

 

 

参考文献

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

 

 

 

【世界遺産】シンハラジャ森林保護区

 

これまで6つの世界文化遺産を紹介してきましたが、次に紹介するのは世界自然遺産

国土は小さくとも、そこに雄大な自然を豊富に有しているスリランカには、現在2つの地域が世界自然遺産に登録されています。

そのひとつが、『シンハラジャ森林保護区』

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引用元:いい旅スリランカ

 

ユネスコ生物圏保護区(ユネスコエコパークにも指定されている熱帯雨林です。

ユネスコ生物圏保護区は、世界各地にある貴重な生態系を保全し、持続可能な開発のモデルとすることを目的にしているものです。

 

シンハラジャとは?? 

シンハラジャとは「ライオンの王」の意味で、ここには古来ライオンが住んでいると信じられてきました。

森林保護区は東西21km、南北7km程度の小規模なもので、ゾウなどの大型哺乳類は見られませんが、鬱蒼と茂る森には昆虫や鳥類など様々な固有種が棲息しており、シンハラジャのみに生息する動物は83種、また植物の固有種もスリランカ全体で830種にも及びます。

この多様な生態系こそ、この場所が世界自然遺産に登録されたゆえんです。

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引用元:シンハラジャ森林保護区の絶景写真画像

 

 

シンハラジャは森林保護区とされるまでゴムや紅茶のプランテーションに利用するための開拓が推し進められた地域でもありました。特にイギリス統治下にあった約150年間はその度合いが著しく、いまや森の面積はかつての10分の1ほどにまで減少してしまっているようです。 

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引用元:ゆたりでふらり ゆるりとぐるり

 

現在はむやみな立ち入りが制限され、観光客が足を踏み入れるには、森林保護局での許可証の取得および入場料の支払い、ガイドの同行が必要となっています。

 



Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約4.5時間。最寄りの町ラトゥナプラから約2時間。

[入場料]ジープ代(チャーター)/ガイド料込みで、1人あたり30〜60ドル程度(参加人数や旅行会社によって異なる。)

[Google Map]

 

 

参考文献

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

 

 

 

 

【世界遺産】ゴール旧市街とその要塞群

 

セイロン島の南西端に位置し海に突き出した半島のあるゴールは、人口10万人弱の都市。城壁に囲まれた旧市街とその外に築かれた新市街とで形作られています。

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 引用元:ゴール旧市街とその要塞群の絶景写真画像

 

ゴール旧市街ってどんな場所??

中東と中国を結ぶ「海のシルクロード」の中継地点として古代から栄えた港町で、大航海時代に入るとポルトガルとオランダによって街が築かれ、中世ヨーロッパ調の雰囲気が色濃く残っています。

それはつまりヨーロッパ各国の支配下に置かれていた過去を意味します。

列強各国の人たちは自分たち以外の「外国人」侵入を防ぐため城壁や要塞を築き、ゴールを強固な城塞都市へと育て上げました。

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引用元:ゴール旧市街とその要塞群の絶景写真画像

 

 

2004年に起きたスマトラ島沖地震によって発生した津波によって甚大な被害を受けたスリランカですが、被害があったのは新市街で旧市街はひとりの死者も出さなかったそうです。

決して明るくはない歴史の遺産である城塞が現在住む人々に平穏をもたらしています。植民地時代の城壁が街を守ったため、以来「奇跡の世界遺産と呼ばれているようです。

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 引用元:ゴール旧市街とその要塞群の絶景写真画像

 

小さな旧市街をぐるりと囲う城砦は、ポルトガルによって造られオランダによって補強されました。低いところで6m、高いところでは20m近くの高さがある頑強なものです。

城壁は屈辱の往時を表すものでありますが、一方でそれを実際に造り上げたのはゴールに住んでいた住民たちでした。

 

祖先が苦労して造ったものをおいそれと壊すことはできないという思いのもと、現在に至るまで残されてきました。

そして先述した地震による津波は砦によりせき止められ、津波からこの街が救われたのは、そんな住民たちと祖先の思いの積み重ねが奇跡を呼んだからかもしれません。

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引用元:ゴール旧市街とその要塞群の絶景写真画像

 

Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約2時間(高速道路利用)。

[入場料]無料

[Google Map]



参考文献

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか