【補足記事】日本の三大恩人!?八王子・雲龍寺を訪れてきました
元記事の補足記事になります。
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日本再建ノ三大恩人 銅像建立報恩之記
日本再建ノ三大恩人 銅像建立報恩之記
日本亡国一九三一(昭和六)年九月十八日。日本は中国に難癖つけ兵火
を開き、侵略拡大十一年。彼我疲弊の極無謀にも四十一年極月
八日、釋尊成道の日、米国真珠湾に無通告の暴挙。鬼畜米英蘭
支に正義膺懲(ようちょう)の開戦とラジオが天皇詔勅を怒鳴る。
更に東洋諸国に無差別侵攻。爾来(それより)四年。相手国立ち
直り、不意打緒戦(はじめ)の勝利夢と消、陸海空三軍は詐称
(ごまかし)転進、敗退を続け、遂に全土灰燼に帰す。
’四五(昭和廿年)盂蘭盆会八月十五日、敵五十五ヶ国連合軍
に無条件降伏せりと天皇ラジオ放送。二千六百年神州不滅と
誇った大日本帝国遂に滅亡。天皇、政府、人民、国土。戦勝国軍
下に入り明日の運命分からぬ民草のみ残る。
JRジャヤワルダナ大統領について
謝和得天寧大統領(ジャヤワルデネ大統領)
’五十一(昭和廿六)年九月四日。米国桑港(サンフランシスコ)
にて戦勝五十一ヶ国が日本処分の講和会議である。戦中、日本
にゴム等物資を奪取され苦しんだ錫蘭 [セイロン](翠藍華)[ス
リランカ]国代表謝和得天寧[ジャワエルデネ](現大統領)博士
は堂々佛陀の教えを説き、「報怨以恨 恨永劫不尽。忘恨報慈
悲「狂気の戦」は終った。彼我倶に疲弊の今、日本に即時独立
を許し、賠償等求めまい。日本は昔の通り亜細亜の兄、亜細亜
の老となってくれ。」吉田茂日本代表は感泣し、米国は深考。
ソ連圏は脱退し、四十八ヶ国の調印で、日本は分割統治から
免れた。
蒋介石について
蔣中正大総統
中華民国。十四年間全土侵攻され、二千万殺戮(ころ)さる。
東北は奪われ満州国とされ広大国土荒廃に帰す。
然るに日本降伏となるや、蔣大総統は、「以徳報恩」(とくをもって
うらみにむくいん)の大号令を発し、「悉く無事故国へ帰し、賠償等
求めてはならぬ。」と厳命。何應鉄将軍は船車総動員。日本軍民
二百十万の青壮を僅か十ヶ月にて家郷へ送還させた。東北侵攻
のソ連共産軍に老幼婦女は凌辱虐殺され、捕虜は酷寒シベリヤ
苦役幾年の果て、斃る十幾万。今も残留孤児の哀話絶えぬ例を
比較せば、蔣大総統、何将軍、中華人民の大慈悲忘れ得ようか。
日本の復興これより始まる。
マッカーサーについて
摩訶薩元帥(マッカーサー元帥)
’四五(昭和廿)年八月丗日、連合国代表占領軍総司令官
諾楽摩訶薩元帥、厚木に飛来。午後二時〇五分、コーン
パイプを手に丸腰でタラップ下りる姿見て、生き残り日本人
はホッと安堵の胸撫で下ろす。
爾来(それより)七年。天皇、政府、官民悉く元帥の命の下
に生きる。昨日の敵が今日飢餓に瀕しているを見て、同じく
窮乏の本国より物資食料取り寄せて、元帥は一億餓死を
救ってくれた。農家は米を隠したが、民家は摩訶薩給与で
生き延びて「摩訶薩は神様だ。」と合掌した。まさに菩薩摩
訶薩(ボーサーマッカーサー)である。
足利正明創立の孤児院(村長の反対で閉鎖)、養老院、
保育園、老幼すべて米国食料で命を繋いだ。元帥帰国を
知り日本民衆は皆泣いた。
報恩微衷
主恩忘れぬハチ公は庶民の感動で首都駅頭に銅像となり、人間
の師範となる。貴い人の身を享け恩を忘れて恩を忘れては犬畜生
に劣る。恩を仇で返えす鬼畜ふえゆく日本はどうなる。
大被害蒙った敵国の大慈悲で新日本は生れ、今日の繁栄を得た。
然るに、物で栄え心で亡びゆく今の祖国を悲しみ、四十余年前の
大恩忘れてならぬと子孫に伝うべく、その像をつくり、報恩の微衷
を捧げ後世への警鐘とする。
一九八七(昭和六十二)年十月廿一日
中華民国何應欽将軍九十七才永眠ノ日
天海山 丗七世 入笠沙門 曹洞宗大教師 足利正明並親友一同