もうひとつのJR

JRにはもうひとつの意味があるのを知ってますか?思わず誰かに伝えたくなる、日本がお世話になったJRさんのお話を紹介していきます。

小生意気な子供時代①え、ジャイアン?

1905年、当時セイロンの首都コロンボ、その中でも最もファッショナブルな街

 

シナモンガーデン

 

でJRさんのご両親は暮らしていました。ファッショナブルの雰囲気はよくわかりませんが、日本でいう原宿とか青山になるんだと思います。公園も近いので。 ただ、このシナモンガーデンの家はすぐに引っ越しまして、公園を挟んで向かい側のパークハウスに移り住みました。

そして、

 

1906年9月17日、JRさんが誕生しました。両親の兄弟の中でも一番早く生まれた子供がJRさんです。JRさんの兄弟姉妹は自身を含めてなんと、11人もいます。JRさん家族はこのパークハウスでその後の25年を過ごします。

 

JRさんの幼少期のあだ名は、ディック。もしくはディッキーJRのRであるリチャードは、このあだ名になるそうです。日本人からするとかっこいい響きや印象をもつあだ名ですが、英語の意味ではよろしくなく、”男性器”です。。。

 

そんなあだ名持っているにも関わらず、JRさんは最初、女子校のBishop's Collegeに通ってました。このBishop's Collegeはキリスト教の学校です。女子校とは言っても、特にJRさんのような富裕層の男の子は、初等教育の1、2年間、Bishop's Collegeでよく教育を受けるそうです。1、2年程で、ただの家と学校との往復作業と思っていたそうで、6歳の頃に次の学校に進学しました。ってどんな4、5歳だよってツッコミたくなります。

 

JRさんは幼少期、とても気難しい子で、親を困らせていました。 例えば、親から叱られる時、弟のエドワードはそれを素直に受け入れるのに対し、JRさんはそれに対して不満を露わにし、雰囲気が悪くなったそうです。そのような態度に手を焼いた両親は、エドワードには怒っても、JRさんに対しては同じように怒ることが無くなったそうです。

  

これは私的な想像ですが、JRさんは小さい時から親と対等に接してきたんだと思います。親の言うことをそのまま素直に聞き入れるのではなく、自分が本当に悪くないと思ったことは、その理由などを親にしつこく聞いて、自分の正当性を主張したのではないでしょうか。

 

また、普段は兄弟・いとこ、みんなで集まって、パークハウスや近くの公園で遊んでいたそうです。ただ、この遊び、民主制ではなく、年長のJRさんが楽しくなるように、JRさんが選んでいたそうです。

 

(兄弟・いとこ)みんなの、みんなによる、JRさんのための遊び

 

つまりJRさん、ジャイアンだったんですね。