JRジャヤワルダナさんの物語 〜もうひとつのJR〜

スリランカの元大統領、JRジャヤワルダナ(Junius Richard Jayewardene)さんの幼少期や学生時代、家族の話、仏教へ改宗した話などを知ることができます。現地取材や伝記を翻訳した情報など、日本で最もジャヤワルダナさんの情報を知ることができるサイトを目指しています!

【世界遺産】古都シギリヤ

 

狂気の王カーシャパが地上200mに築いた宮殿跡で、ジャングルの中を歩いて行くと姿を現す要塞のような四角い岩山。

これが2つ目に紹介する世界遺産シギリヤロック』です。

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引用元:地球の歩き方[旅スケ]

 

シギリヤロックってどんな場所??

スリランカ旅行で1番の人気を誇り、鉄製の急な階段を登って頂上の宮殿跡に立つと360度下界を見渡すことができ、まるで天空の城にいるような気分になります。

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引用元:いい旅スリランカ

 

このシギリヤをスリランカで1番とも言うべき有名な観光スポットにさせ多くの観光客を集めているのには、シギリヤ・レディと呼ばれる岸壁に描かれたフレスコ画の美女壁画のおかげでしょう。

 

強風の吹きすさぶ宮殿跡とは対照的に、1500年を経た今も穏やかな微笑みをたたえています。現在見ることができるのは18体のみですが、当時は岩肌に500人ほどの女性が描かれていたそうです。

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引用元:遺跡ときどき猫

 

シギリヤロックの悲しい歴史

「獅子の岩」の意味を持つここシギリヤの巨岩を中心に都市が築かれたのは、5世紀のことでした。「東洋のマチュピチュ」とも評される空中都市は、実は悲しい歴史を持っています。

 

 当時シンハラ王朝を治めていたダートゥセーナ王には、平民出身の側室との間に生まれた長男カーシャパと、貴族生まれの正室との子で次男モッガラーナがいました。

弟に王位継承されることを恐れたカーシャパは父を幽閉して王位を奪い取り、その後殺害。しかしインドに落ち延びて難を逃れた弟からの報復を恐れ、カーシャパはアヌラーダプラからここシギリヤに都を移し、地上から遠く離れた岩山の頂上に、要塞のごとき空中楼閣を築きました。

父王殺害から18年後、弟モッガラーナが兵を率いてシギリヤに攻め入り、追い詰められたカーシャパは喉を掻き切って自らの人生に幕を引きました。

建設には7年の時を要したという王都はじつに短命なものでした。

石造りの立派な王座が残っていますが、カーシャパはそこに座しながら常に弟の襲来を恐れていたのでしょうか。。

 

 

世界遺産シギリヤロック。

悠久の時を超えて美女たちの静かな微笑みを残し、周囲360°の絶景を併せ持っているかつての王都は、一度は訪れたいスリランカ隋一の観光ポイントではないでしょうか。



Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約4.5時間。

[入場料]30ドル

[Google Map]

 

 

参考文献

「感動を味わえる絶景!」世界遺産シーギリヤロック | いい旅スリランカ

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

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【世界遺産】聖地アヌラーダプラ

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引用元:スリランカ世界遺産地図 - 旅行のとも、ZenTech

 

 

前回の記事で紹介したように、スリランカには、北海道の約8割という国土に6つの文化遺産2つの自然遺産の計8つの世界遺産が点在し、観光資源に大変恵まれた国ということが分かると思います。

 

今回はその内の一つ『アヌラーダプラ』について紹介していきたいと思います。

 

 

聖地アヌラーダプラ ってどんな場所?? 

聖地アヌラーダプラは、紀元前4世紀から約1400年間という長きにわたり、シンハラ王朝の首都が置かれていたスリランカ最古の都で、この地にインドから伝わった仏教が各地に広まりました。

 

特筆すべきは、このブログのテーマであるJRさんとゆかりのある地ということです!

J.R.ジャヤワルダナ氏は16際の時にこの地を訪れ、ここでエッセイを書き、彼の通っていた大学のカレッジ雑誌に論文として寄稿していたそうです。

一般的に観光する人にとってはただのイチ世界遺産の地であるかもしれませんが、とても重要な場所ということでしょう。

 

 

 

また、「聖地」と呼ばれるのには、スリー・マハー菩提樹の存在があるからでしょう。

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引用元:カフェを訪ねて三万里

 

インドのブッダガヤからもたらされた、ブッダがその根元で悟りを開いたとされる菩提樹の分け木がこの地にあります。

インドの菩提樹は焼失したため仏陀が覚りを開いた瞬間を唯一記憶している聖なる木とも言われており、数千年の時を超えた今も信徒たちがこの場所で祈りを捧げています。

 

また、アヌラーダプラは、遺跡の残る聖域地区、旧市街、新市街の3つの地区に分けることができ、仏教都市として発展したこの地には、”ダーガバ”と呼ばれる巨大な仏塔が聖域地区に3つ存在します。

 

シンボルとも言える「ルワンウェリ・サーヤ大塔」

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引用元:takaji-ochi.com

 

紀元前2世紀、タミル人の侵略を阻止したことで現在も英雄王と称えられるドゥッタガーマ王により建設が開始されました。王自身は大塔の完成を見ることなく没したが、事業は息子によって引き継がれて完成しました。

 

 

もっとも古い仏塔は「ジェータワナ・ラーマヤ」

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引用元:ジェータワナ・ラーマヤ | スリランカ 旅行まるわかりガイド

 

紀元前3世紀にアヌラーダプラを治めた王のひとり、マハーセーナ王が建てたと伝えられています。7300万個のレンガを使って建てられ、建設当時は122mと、スリランカでもっとも高い仏塔でした。

 

 

現在残る仏塔として最も大きい「アバヤギリ大塔」

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引用元:海外旅行記 女性ひとり旅のブログ

 

紀元前1世紀に建てられ、建設当時は110mで現在でも75mを誇っています。今は断絶してしまったスリランカ大乗仏教の総本山で、多くの信仰を集めていました。

 

 

そして、寝釈迦像が存在する「イスルムニヤ精舎」

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引用元:いい旅スリランカ

 

紀元前3世紀、スリランカ仏教が伝わった直後スリランカで初めて仏教を受容したデーバアナンピヤ・ティッサ王が、アヌラーダプラを仏都とすべく、その第一歩として建てられました。

 

 

 

南インドのチョーラ王朝からやってきた人々に追われて、ボロンナルワへ遷都(せんと)して以降は廃墟と化し、19世紀イギリス人によって発見されるまで、アヌラーダプラの存在は忘れ去られていたそうです。

ユネスコ世界文化遺産に登録されたのは1982年のことでした。



Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボから車で約4.5時間。

[入場料]30ドル

[Google Map]

 

 

参考文献

118 スリランカの仏教遺跡巡り(1)アヌラーダプラ(aイスルムニヤ精舎) - 石仏散歩

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

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観光地としてのスリランカ

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引用元:DTAC スリランカ観光情報局

 

一度でもスリランカを訪れた人は、この国に観光立国としての素地が揃っていることを体感しているのではないでしょうか。

 

スリランカの観光的魅力を紹介する上で、まず特筆すべき点は、

北海道の8割ほどの国土に8つの世界遺産が存在していることでしょう。

 

古代スリランカの物語と仏教文化を今に伝える

【聖地アヌラーダプラ】

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シギリヤロック】

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【古代都市ポロンナルワ】

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【聖地キャンディ仏歯寺】

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【ダンブッラの黄金寺院】

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ヨーロッパ統治時代の痕跡を残す

【ゴール旧市街とその要塞群】

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原子の自然と動物たちのワイルドな生態を垣間見られる

【シンハラジャ森林保護区】

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スリランカの中央高地】

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引用元:スリランカにある8つの世界遺産をご紹介します♪ | いい旅スリランカ

 

 

 

これらの世界遺産が物語る歴史は極めて興味深く、またこれらの遺跡を語る上で、この国に存在する独特な宗教文化についての説明も欠かせないでしょう。

この国が辿ってきた歴史、築いてきた文化を知る上で欠かせないこれら世界遺産の魅力を今後の記事で分けて紹介していきます。

 

また、内戦が終わった今、スリランカ政府は観光産業に力を入れているようで、

各種インフラが徐々に整い、リゾート地としても注目されるようになっています。

海に囲まれた島国ということでダイビングなどのマリンスポーツが盛んで、船で海へ出ればホエールウォッチングもでき、本格的なアーユルヴェーダ体験ができる場所も増えています。

首都コロンボの街中や高原にはコロニアル調の洋館を利用したホテルがたくさんあり、海辺には大規模なリゾートホテルが立ち並んでいます。

スリランカが生んだ熱帯建築のパイオニア”ジェフリー・バワ”の作品であるホテルもぜひスリランカを訪れた際は泊まってみたい場所です。

海に沈む夕日の雄大さをホテルから眺めるのもよし、ビーチでのんびり過ごすのもよし。

同じ島国ということで豊富にとれる海産物を使ったスリランカ料理は日本人の味覚とも相性がいいでしょう。

 

美しい景色と美味しい食事があり、心身を落ち着けてリフレッシュさせることも、アクティブに遊ぶこともできる場所。それが観光地としてのスリランカの魅力です!

 

次回からの記事では、これら観光地にもう少し詳しく迫ってみたいと思います。

 

今後の記事↓↓↓

・聖地アヌラーダプラ

・古都シギリヤ

・古代都市ポロンナルワ

・キャンディ仏歯寺

・ダンブッラの黄金寺院

・ゴール旧市街とその要塞群

・シンハラジャ森林保護区

スリランカの中央高地

 

乞うご期待!!!



参考文献 

 テーマ で旅するスリランカ 世界遺産 | DTACスリランカ観光情報局

世界の資産家はなぜスリランカに投資するのか

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そもそもスリランカってどんな国??

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JRさんの幼少期を少しずつ紹介してきましたが、少しはJRさんという人物について興味が湧いてきた方が増えてきたのでは???

 

そんな期待を胸にどんどん記事をあげていきますが、JRさんの幼少期のお話はちょっとの間お預け。

このブログでは、JRさんを知ってもらう為、様々な切り口で記事を書いていこうと思いますが、

今日の記事は、JRさんの生まれ故郷であるスリランカ

という国について深く掘り下げていこうと思います。

 

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そもそもスリランカって知ってる???

 

ところで、そもそも皆さんはスリランカという国をご存知でしょうか。

 

スリランカ民主社会主義共和国』、通称スリランカ

日本の北海道の8割くらいの面積に、人口約2000万人が暮らす島国。

公用語シンハラ語タミル語、そして英語を話し、国民の7割が仏教徒という仏教大国です。

上記の世界地図を見てもらうとだいたいの位置は分かったかと思います。

 

 

多くの方が名前くらいは聞いたことがあるとは思いますが、 「光り輝く島」という意味の現在の国名”スリランカ”という国は、かつては『セイロン』という名で呼ばれていました。

多くの方にとって親しみのあるセイロンティーは実はここから来ています。

そう考えると身近な存在として親しみを覚えるのではないでしょうか。

 

 

しかし日本人にとって、実際のスリランカがどのような国なのか、どのような歴史を辿ってきたのか、いかに魅力ある国であるかを知る人は決して多くないはずです。

その理由の一つは、最近までこの国が30年近くもの長きにわたり内戦状態にあったため、観光はもちろん、人的、経済、物流などなど、各種の交流が難しい状況になっていたからなんです。

しかし、長期に及んだ内戦は2009年に完全終結。それまでの停滞を一気に晴らすかのように、その後のスリランカの発展にはまさに目を見張らされています。

2010年には、米紙ニューヨーク・タイムズが”世界で最も行ってみたい観光地の、なんと1位に選ばれるほどの快挙。

 

 

インド洋の真珠と言われている島国スリランカですが、 次回の記事では、「観光地」としてのスリランカの魅力について、そしてJ.R.ジャヤワルダナさんとどのような関わりがあるのか、その点も交えながら紹介していきたいと思います。

 

 

JRジャヤワルダナさんの素敵な家庭のお話

今日の記事は、幼少期のJRジャヤワルダナさんちのお話。 

JRジャヤワルダナさんの子供時代の記事はこちら↓

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 


そもそもJRさんって誰って方はこちら↓

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

JRさんのお父さん(E.W. Jayewardene)もJRさんと同じRoyal Cllege Colombo出身です。法律家でセイロンの最高裁判事にまでなられ、Wikipediaにまで載るすこぶる優秀な方です。クリスチャンで、子供達にもそうなって欲しいと強く望んでいたため、常に英語で話しかけ、家政婦達との会話も英語で話すように子供達に教育してました。毎週、日曜日は近くの教会(St.Michael's Polwatteか Christ Church at Galle Face)にJRさんと通っていたそうです。また、当時では珍しく、英国の家庭教師(Miss Munro)を子供達につけ、英会話のリズムや韻から、歌やピアノも習わせました。ドン・キホーテ不思議の国のアリスなども、JRさんはこの家庭教師から読み教えてもらっていたそうです。

 

一方、JRさんのお母さん(Agnes Jayewardene )はその家族(Wijewardene家)揃って仏教徒した。伝統的な習慣を守り、シンハラ語を話します。修行中の僧に食べ物を寄付する活動も定期的に行う熱心な仏教徒でした。ちなみにお母さん、英語も喋れます。お母さんは料理もでき、台所を取り仕切っていました。いつも子供達や夫のために、食卓には溢れんばかりのご飯を準備していたため、夫は丸く太り、実際の身長よりも低く見えたそうな。

JRさんのお父さん→Eugene Wilfred Jayewardene - Wikipedia

 

お母さんは家で常に動き回っており、最初の孫と住むようになっても変わらない生活を続けたそうです。しかも晩年は車椅子に乗っていたにも関わらず、昔ながらの生活を続けました。JRさんのお母さんは生活スタイルや家庭を大切に思う人でした。

 

クリスチャンで英語を話すお父さんに、仏教徒シンハラ語を話すお母さん。素敵なことに、言葉も宗教も違うにも関わらず、お互いを尊重しあってました。英語での会話を強く望むお父さんをよそに、お母さんは夫や子供達、家政婦とも、シンハラ語で話しかけていたそうです。夕食時、食卓を囲みながら英語で話しかけるお父さんに、シンハラ語で返すお母さん。そんな家庭でJRさんは育ちました。

 

これって、素敵なことだと思いませんか?