JRジャヤワルダナさんの物語 〜もうひとつのJR〜

スリランカの元大統領、JRジャヤワルダナ(Junius Richard Jayewardene)さんの幼少期や学生時代、家族の話、仏教へ改宗した話などを知ることができます。現地取材や伝記を翻訳した情報など、日本で最もジャヤワルダナさんの情報を知ることができるサイトを目指しています!

ジャヤワルダナさん(JRさん)を知らない日本人が98%以上いる。だから始めた!

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ここでは、アラサーの俺達がJRさんについて熱くなって調べ始めた理由について紹介しています。

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JR さんはスポーツマン(ラグビー、サッカー、テニス、クリケット) 〜素敵な記憶の作り方〜

 

後に大統領にまでなったJR さんですが、若い頃は勉強そっちのけでスポーツに熱中するような人でした。勉強であれ、スポーツであれ、この熱中することが、人生を輝かすことの一つだと、私は思います。JRさんが若かりし頃に熱中したスポーツについて、ここでは紹介します。(記事担当、ヤマ)

 

【目次】

JRさんの興味は勉強よりもゲームで、クリケット、サッカー、ラグビー、ボクシング、テニス。色々とやりました。その中でもJRさんはラグビーで最も成功し、16歳のときにfirst XV (選抜チーム)に選ばれ、3年後の1924年にはキャプテンにもなったそうです。そんな中、JRさんの記憶に鮮やかに残っていたのは、クリケットでした!

勉強そっちのけの話はこの記事を参照ください。↓

srilanka-jr-japan.hatenablog.com  

クリケットとは

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JRさんはシンハラスポーツクラブというクリケットの名門クラブに入部して活躍しています。日本ではマイナースポーツのクリケット。しかし、競技人口を世界的に見ると、サッカーの次に多いと言われています。

クリケットの競技人口

1位、バスケットボール:4億5000万人(FIBA:2007年)

http://www.fiba.com/downloads/media_center/FIBA_quickfacts.pdf

2位、サッカー:2億7000万人(FIFA:2006年)

http://www.fifa.com/mm/document/fifafacts/bcoffsurv/bigcount.statspackage_7024.pdf

 3位、クリケット:人数不明

(参考)野球:3500万人(IBAF

国際野球連盟 - Wikipedia 

クリケット選手の年収

それを表すように選手の年収もすごいです!

・野球の田中将大さん、約25億円

・テニスの錦織圭さん、約36億円

クリケットのトッププロ、マヘンド・ラ・シン・ドーニ選手、約39億円

また、チーム年収はバスケについで2位だそうです。↓

suzie-news.jp

 

JRさんに残る記憶

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スリランカではポピュラーなクリケット。JRさんはスリランカにおける有名なクリケット選手にもノミネートされています。↓

www.ranker.com

 

クリケットの試合として世界で2番目に長い歴史を持つ伝統試合、ロイヤル-トミアン。JRさんはこのロイヤル校の選手にも選ばれて出場しました。この試合は一族みんなで観に行ったジャヤワルデネ家の誇りでもあるそうです。それほど名誉ある試合なんです。なお、2人の叔父も学生の頃、同じようにロイヤル校の代表であり、その1人はボーリングレコードを残し、ロイヤル史に残る勝利を収めています。ただ、JRさんはこの試合、バットマンというポジションで失敗しました。観にきていた親族にとってゆういつの救いは、2塁にいた相手の選手をJRさんがアウトにし、その後勝利を収めた事だそうです。この伝統ある試合に勝利した夜、JRさんの父親がチームみんなのためにバスをチャーターし、地元で評判のレストラン、The Pagoda'に夕食を食べに行ったそうです。(ここかな↓?違うかも。)

www.tripadvisor.jp

勝利への貢献は少なかったかも知れないですが、JRさんにとってこの名誉ある試合に勝利した思い出は、いつまでも新鮮で、40年後でも正確に思い出せるほど、素敵な記憶となったそうです。

 

何事にも熱中して生きるって素敵だな。自分もがんばろ。

 

 (著者:ヤマ)

JRさんはクリスチャン?仏教徒?〜宗教を選択できるという事〜

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ん?JRさんがクリスチャン?ブッタの言葉も引用してるのに何言ってるんだこいつは。と、思ったそこのあなた。JRさんは元から仏教徒だったわけではないんです。今日はそのお話。

【目次】

1、JRさんは子供の頃、クリスチャンでした。

どうしてクリスチャンだったかというと、お父さん家族がクリスチャンだからです。なかなか複雑かつ素敵な家庭で育っているんですが、JRさんの家庭についてのお話はこちらの記事を読んでください。

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

Jayewardene家(お父さん一族)

お父さんは子供たちをクリスチャンとして育てようとしてました。JRさんが子供の頃は弟のコルベットとお父さんと一緒に近くの教会、St.Michael's Polwatteか Christ Church at Galle Faceに毎週日曜日に通っていました。彼らは大人になるまでそこでクリスチャンの科目を勉強し、聖歌隊のクラスにも参加していました。また、JRさんが子供の頃はお父さん側の従兄弟たちと仲が良かったのも、クリスチャンであったことに一役買っていたのでしょう。

お父さん側の先祖のお話↓

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

Wijewardene家 (お母さん一族)

仏教に関することは、お母さん側の家族からの影響です。JRさんのお母さんは子供たちを連れて定期的に郊外に住む母、ヘレナさんの家に遊びに行ってました。このヘレナさん、郊外の家以外にも大きな家を所有しており、そこにJRさんのお母さん側、Wijewardene家の親族は事あるごとに集合しました。ここでは常に、修行僧への食べ物を用意しておくことや与えることを習慣としていました。これらは仏教の習慣でしたが、子供たちは興味を持ち、一緒にその準備などを手伝うなど、常に仏教徒の習慣に触れていました。また、実家でもお母さんは同じような生活スタイルを貫いていたので、常日頃触れていた習慣は仏教の方が多かったのでしょう。

 

2、そしてJRさんは?

このようにお父さん側のJayewardane 家と、お母さん側のWijewardene家の文化の違いは明確でした。お父さん側はクリスチャンで英語を喋るのに対し、お母さん側は仏教徒で、伝統的な習慣を守り、シンハラ語を話し、ローカルフードを食べ、現地人と自由に行動しました。また、JRさんと弟のコルベットは、クリスチャンの考えや習慣など、一部は受け入れられてもその全て受け入れることができなかったそうです。彼らは父親の書斎でキリスト教仏教に関する本に触れることで、その考えが強くなって行きました。そんな時、お母さんの弟(Walterおじさん)は、JRさんたちが持ち始めたクリスチャンの考えや習慣に対する疑問について、相談にのるなどして彼らを助けていました。このおじさんは仏教徒でありWijewardene家の中でも仏教に興味を持っていた人なんですが、割と早い段階でJRさんたちはこのおじさんよりも仏教への造詣が深くなったそうです。なんて子供たちだ!!

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 お手上げのおじさんはJRさんたちをVajiraramaya temple に連れて行き、2人の高僧、Palane VajiranganaとNaradaに紹介しました。2人の高僧がJRさんとコルベットをみたとき、彼らはすでに仏教徒として成熟していたそうです。ちなみにこのお寺、スリランカ仏教の修行や勉強で有名な仏教寺だそうです。この高僧のお二人もよくわかんないけど、写真で紹介されているし、すごいみたいですよ。→Sri Vajiraramaya - Bambalapitiya - Colombo, Sri Lanka - Dhamma Sermons

 

3、仏教徒に!

JRさんのお父さんは仕事で忙しく、JRさん達がこのお寺に定期的に通っていた事に気付かなかったそうです。もしくわ知っていたとしても、通う本当の理由には気付けなかったと。お父さんが、通っていたことに気付いたとき、JRさん達はすでに仏教徒に変わりきっていました。お父さんはその状況を受け入れ、無理にクリスチャンに戻そうとはしなかったそうです。素敵なお父さん!

 

ちなみにコルベットの方が早く仏教徒になり、僧としての修行を終えました。JRさんは、クリスチャンと仏教徒の間で悩み続けたそうですが、学生の頃にはクリスチャンと思うことができなくなったそうです。

 

結局、JRさんの兄弟のうち、1人の妹を除いた全員が仏教徒となりました。

 

宗教を選択できるという事

いかがだったでしょうか?JRさんの宗教の移り変わり。

宗教を自由に選択できるって、すごく幸せな事だと思いませんか?宗教っていうと、拒否反応が出る方も多いと思いますが、宗教は言い換えれば家庭のローカルルールが共通化したものだと思うんです。実家では普通だけど、ちょっと変わった習慣や決まりごとってあるでしょ?それがしっかりと明文化・習慣化されて、ある程度以上のコミニティを形成したものが宗教といわれているものだと思います。

自分の場合、実家はおそらく仏教浄土真宗か何かだと思う、くらいの認識で、親から強制されたこともなければ、自分で選択したこともありません。同じような日本の方は多いのではないのでしょうか?宗教がないのは、いいのか悪いのかは知りませんが、その選択を自分でできるのは幸せなことだと思います。宗教の自由な選択って、その人やその宗教にリスペクトがあるからできるんだと思います。戦争とかテロとか宗教間での争いはリスペクトの反対で、究極的な考えの押し付けあいでしょう?

JRさんの場合は、両親がともに信仰の深いクリスチャンと仏教徒であるにもかかわらずうまいことやっていて、JRさんの宗教もなんだかんだ自分で選択させてくれた。この精神をもっと持てば、争いなんてなくなるはずなのに。

 

 引用文献↓

J.R. Jayewardene of Sri Lanka a Political Biography: 1906-1956 (J. R. Jayewardene of Sri Lanka Vol. 2)

J.R. Jayewardene of Sri Lanka a Political Biography: 1906-1956 (J. R. Jayewardene of Sri Lanka Vol. 2)

 

 

 (著者:ヤマ)

スリランカにあるJRさんと日本ゆかりの地

 

以前の記事で、日本にあるJRさんとゆかりのある地を紹介したかと思います。

知らないって人は読んでね!↓↓↓

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

今回は、日本ではなくスリランカにあるJRさんゆかりの地、そして日本とスリランカの繋がりのある場所を紹介したいと思います。

日本とJRさん、日本とスリランカがいかに深い繋がりがあるのか。

これを読めばあなたもJR通です!

 

【目次】

【J.R.ジャヤワルダナ・センター】

J.R.ジャヤワルダナ元大統領について知りたいならまずはここへ!

と言っても過言ではないかもしれません。

JRさんの功績を称えた博物館「J.R.ジャヤワルダナセンター」がコロンボ中心地にあります。

 

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特定の人物の博物館があるという時点で、どれほどの影響力を与えた人なのか感じるんじゃないでしょうか。

 

J.R.ジャヤワルダナ氏の写真を始め、各国からの贈答品など様々な展示物があり、

1951年サンフランシスコ講和会議でのジャヤワルダナ氏の演説の原稿の原本、会議の様子が分かる写真、天皇陛下から送られた手紙の原本などなど。

本当に貴重な資料等が残っています。

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引用元:トラベルコちゃん

[Map]

 

 

【ジャパニーズミュージアム(Japanese Museum)

先に紹介したJ.R.ジャヤワルダナセンターは有名のようですが、実はこの裏に日本人しか入れない「JAPANESE MUSEUM」という博物館があるんです。

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普段は鍵をかけて閉まってあるんですが、日本人ということを伝えれば中に入れてくれるそうで、日本語が話せる人が付き添って説明してくれるようです。

 

ジャヤワルダナ氏の銅像昭和天皇のお写真、日本からの贈答品の数々。日本とスリランカの関係の歴史がよく分かる場所になっています。

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引用元:地球の歩き方

 

 

【トリンコマリー(Trincomalee)】

スリランカの北東部に位置するトリンコマリー。

ここには第二次世界大戦までイギリスの軍事基地がありました。スリランカがイギリスの植民地であったためです。

 

第二次世界大戦中、日本はイギリスと敵対状態にあり、1942年4月9日、日本軍はこのトリンコマリー港を空襲しています。

この辺の話はブログ初期の記事でもチラッと紹介しています。

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

ハワイ真珠湾を攻撃した日本海軍がその足で120機の爆撃機を引き連れて、イギリス海軍の基地があるセイロン島(現スリランカ)にやって来て、コロンボにある「アンゴダ※」という場所とこの「トリンコマリー」を空爆

イギリスの為の軍事基地とはいえ、空港・港・鉄道の作業場・石油施設等で大きな被害を受けました。

※アンゴダ(angoda) 1942年、4月4日、同じく空襲によって精神病院の建物が被害。

 

しかし、この多大な被害を日本軍から受けたにも関わらず、

『日本はスリランカを占領しているイギリスと戦っているのです。日本軍がトリンコマリーを空襲し、イギリスの戦艦を撃沈した時は、皆とても喜びました』

スリランカではこのように言われているそうです。

 


その空爆の際、3人が乗った日本軍の攻撃機一機がトリンコマリーで撃ち落され、墜落してしまいます。

その日本軍機は、石油基地中にある石油タンクのひとつに衝突したといいます。そのタンクは炎上し、その後も7日間燃え続け、その後タンクに衝突した日本軍機のエンジンなどが現場から取り出されて、現在も保存されています。

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引用元:スリランカで永遠の眠りについた日本人たち

この写真はトリンコマリーに残る爆撃の事実を示した記念板で、現在は石油基地のある敷地の中に爆撃機の残骸と共に置かれています。


記された文字によると、「 1942年4月9日午前6時45分、3人の日本人(Shigemori Watanabe、ほかの2人の氏名は判読が不可能)が乗った爆撃機が撃ち落される。7日間燃え続け、一人の遺体だけが発見された 」とあります。

 

また、トリンコマリーの空襲の際に撃ち落された日本軍機に乗っていた日本兵スリランカのある僧が助けてかくまったという話があるそうです。

一見、敵対状態にある日本とスリランカでしたが、その心情はこんなにも強い信頼関係にあったんですね。

 

[Map]

  

 

【日本人墓地】

先に述べたように、1942年4月、120機の日本海軍が空爆した際、そのうちの1機がイギリス軍に追撃されたが、3人の日本人乗組員が亡くなりました。

この墓地に彼らの霊を慰めるために慰霊碑が建てられました。 

攻撃された側の国が攻撃した側の国の為の墓地を造るなんて。普通だと考えられないことじゃないですか?

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引用元:コロンボにある日本人墓地を訪ねて

 

日本人墓地はカナッテ市営墓地の一画にあり、きれいに整備されていて、スリランカ日本人会の人々によって管理されているようです。

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引用元:コロンボにある日本人墓地を訪ねて

 

 大日本帝国海軍戦死者慰霊碑」と記された慰霊塔。

裏側を見ると、
「第二次大戦中大日本帝国海軍戦死者の遺体を丁重に埋葬供養されたスリランカ国民の「愛」を記念し戦死者の霊と平安を祈り之を建つ 昭和五十四年一〇月一八日 日本国特命全権大使 越智啓介」

と、記載されています。

スリランカ人が戦時中から日本軍を称えていたのは本当のようですね。

 

 [Map]




津波本願寺仏舎と津内犠牲者慰霊碑】

2004年スマトラ沖地震の際、スリランカ・ゴール州は多大な被害を受けました。

そこで、日本の本願寺財団がスリランカ政府と共同で、津波犠牲者の追悼とスリランカと日本の文化交流のため、津波本願寺佛舎を建立しました。

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引用元:地球の歩き方[旅スケ]

 

また、津波によりこの近くで止まっていた電車に乗っていて流された約1650人の犠牲者が、南西部に位置するゴール州ヒッカドゥワ市ペラリアに埋葬されており、津波犠牲者慰霊碑が建立されています。

テロによって破壊されたアフガニスタンバーミヤンブッダ像を再興した高さ18.5メートルの大佛も立っています。

 

 

地震大国であり海に囲まれた日本は、津波は他人事ではありません。

このスマトラ沖地震の後に起きた、2011年3月11日の東日本大震災

スリランカ人はこの時の恩を返すべく、日本の為にいち早く復興支援を行ってくれました。

当時、スリランカ全土の仏教寺では犠牲者を追悼し、日本と日本の人たちのために一刻も早い復興を祈る儀式を行ったそうです。

 

1951年サンフランシスコ講話会議から続く、日本とスリランカの良好な関係があったからこそできた恩の繋がりですね。

 

[Map]

 

まとめ 

いかがでしょうか。

これまで世界遺産、バワ建築を通してスリランカ観光地をオススメしてきましたが、スリランカには他にも多くの訪れるべき場所がたくさんあります。

日本と繋がりのある地がスリランカ各所にあり、日本とJRさん、そして日本とスリランカがいかに深い繋がりがあるか少しは伝わったんじゃないでしょうか。

スリランカを訪れることがあれば、ぜひ今回紹介した場所も行ってみることをオススメします!

 

 

参考文献

tokuhain.arukikata.co.jp

4travel.jp

blogs.yahoo.co.jp

honganjifoundation.org

  

【バワ建築】大阪万博セイロン館・ナンバー・イレブン

④【大阪万博セイロン館(Caylon Pavilion)】

日本とジェフリー・バワ、そして日本とスリランカをつなぐ場所は実は日本にも存在しているんです。

 

日本人の誰もが知る1970年に開かれた大阪万博

そのセイロン館(当時のスリランカ)の設計者は実はジェフリー・バワでした。

建設は国会議事堂と同じく三井建設。

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引用元:HELL'S NOTE EXPO '70 セイロン館

写真左側に写っているオブジェは「ボーディ・ツリー(菩提樹」を表していて、スリランカを代表する有名な彫刻家ラキ・セナナヤケ氏によって造られました。

 

当時、他のパビリオンは人だかりで大行列だったけれど、セイロン館とかカナダ館は空いていたようです(笑)




⑤【ナンバー・イレブン(Number11)】

コロンボ市内の閑静な高級住宅街に、ジェフリー・バワ氏が余生を過ごした自宅兼オフィスである「ナンバー11」があります。

 

1959年にバワ氏がこの場所を購入した当時は、4軒が連なった長屋状の住宅でしたが、彼が3軒の住宅を買い増して行き、現在の形になっています。

内と外の境界がない開放感溢れる吹き抜けからは、やさしい光と心地よい風を感じられ、 ここが室内であることを一瞬忘れてしまう不思議な空間です。

 

現在一般公開されており、当時の面影を残す建物内部の見学や、部屋数は少ないが宿泊も可能。

特に、2階ゲストルームであるリビングには、先ほど紹介した大阪万博セイロン館のオブジェとなった菩提樹のミニチュア版が飾ってあり、現在では見ることができない万博の面影をここでも感じることができるのかもしれません。

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引用元:SriLankan Holidays

 

見学には予約が必要ですが、1時間ほどの見学ツアーに参加することもでき、バワトラストというバワ建築を管理する企業のスタッフが同行し、バワの生涯や建築について学ぶことができます。



Informationインフォメーション

[アクセス]コロンボ市内

[料金]見学ツアー:10:00、12:00、14:00、16:00

ツアー料金:Rs1000(2014年8月現在)

予約はこちらから

 →→→Geoffrey Bawa

Google Map]

 

参考文献

ameblo.jp

ジェフリー・バワが過ごした自宅 「Number(ナンバー)11」 | SriLankan Holidays

HELL'S NOTE EXPO '70 セイロン館