JRジャヤワルダナさんの物語 〜もうひとつのJR〜

スリランカの元大統領、JRジャヤワルダナ(Junius Richard Jayewardene)さんの幼少期や学生時代、家族の話、仏教へ改宗した話などを知ることができます。現地取材や伝記を翻訳した情報など、日本で最もジャヤワルダナさんの情報を知ることができるサイトを目指しています!

JR ジャヤワルダナ さんの誕生と幼稚園時代。ジャイアン的な存在?

この記事は、Chapter 2 JR ジャヤワルダナさんの子供時代(0〜19歳まで、1906-1925)の誕生して幼稚園時代のお話です。スリランカの大統領にまでなったジャヤワルダナさん(JRさん)の子供の頃のお話。ただの優秀な人ではありませんでした!

 

ジャヤワルダナさんの誕生

1905年、当時セイロンの首都コロンボ、その中でも最もファッショナブルな街、シナモンガーデン、でJRさんのご両親は暮らしていました。ファッショナブルの雰囲気はよくわかりませんが、公園なども多いので日本でいう原宿とか青山になります。 ただ、このシナモンガーデンの家はすぐに引っ越しまして、公園を挟んで向かい側のパークハウスに移り住みました。

 

そして、1906年9月17日、ジャヤワルダナさん(JRさん)はパークハウスで誕生しました。両親の兄弟の中でも一番早く生まれた子供がJRさんです。JRさんの兄弟姉妹は自身を含めてなんと、11人もいます。JRさん家族はこのパークハウスでその後の25年を過ごします。

現在、このパークハウスはジャヤワルダナ センター(Jayyewardene centre)という、JRさんの記念館になっており、スリランカの政治や仏教、日本との関係がわかる貴重な資料などが観れるようになっております。ジャヤワルダナさんのことが気になってここのページに来たあなたがもしもスリランカに行くのであれば、ぜひ訪れてみることをお勧めします!

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

ジャヤワルダナさんの幼少期のあだ名

JRさんの幼少期のあだ名は、ディック(Dick)。もしくはディッキー(Dickie)JRのRであるリチャード(Richard)は、このあだ名になるそうです。日本人からするとかっこいい響きや印象をもつあだ名ですが、英語の意味ではよろしくなく、”男性器”です。。。英語ネイティブの知り合いがいるのであれば、尋ねてみてください。渋い顔をされます。(されました。)

ちなみに、大学時代には違うあだ名(ペンネーム)があり、その名前で本を執筆したり、友達にもそのあだ名で呼ばれていたそうです。その名前が好きだったので、なんと一人息子の名前にもしております。

 

ジャヤワルダナさんの通っていた幼稚園や小学校

男性器というあだ名持っているにも関わらず、JRさんは最初、女子校のビショップカレッジ(Bishop's College)に通ってました。このビショップカレッジはキリスト教の学校です。女子校とは言っても、特にJRさんのような富裕層の男の子は、初等教育の1、2年間、ビショップカレッジでよく教育を受けるそうです。1、2年程で、ただの家と学校との往復作業と思っていたそうで、6歳の頃に次の学校に進学しました。ってどんな4、5歳だよってツッコミたくなります。

 

ジャヤワルダナさんの幼少期の性格

JRさんは幼少期、とても気難しい子で、親を困らせていました。 例えば、親から叱られる時、弟のエドワードはそれを素直に受け入れるのに対し、JRさんはそれに対して不満を露わにし、雰囲気が悪くなったそうです。そのような態度に手を焼いた両親は、エドワードには怒っても、JRさんに対しては同じように怒ることが無くなったそうです。

  

これは私的な想像ですが、JRさんは小さい時から親と対等に接してきたんだと思います。親の言うことをそのまま素直に聞き入れるのではなく、自分が本当に悪くないと思ったことは、その理由などを親にしつこく聞いて、自分の正当性を主張したのではないでしょうか。親としてはとても手を焼いたでしょうね。可愛くない。

 

また、普段は兄弟・いとこ、みんなで集まって、パークハウスや近くの公園で遊んでいたそうです。ただ、この遊び、民主制ではなく、年長のJRさんが楽しくなるように、JRさんが選んでいたそうです。

つまりスリランカの大統領にまでなり、仏教徒で優しそうなJRさんも、幼少期に兄弟やいとこと遊ぶときにはジャイアン的な存在だったんです。

 

でもただのジャイアン的な存在ではない、JRさん。幼少期の他の話は↓こちらの記事から。 

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

Chapter 2 JRジャヤワルダナさんの子供時代(1906-1925):Childhood and school days (1906-1925)

JR ジャヤワルダナさんはどんな子供だったのか。想像してみて下さい。

そりゃ、スリランカの大統領で日本を許してくれたんだし、仏のような優しい子供だったんでしょう?と、思ったそこのあなた。

 

ええ、私もそう思いました。

 

知れば知るほど興味深いJRさん。なるほどね!と思えることから、そうだったの?と思えることまで。まあ、間違いなく、というか、とんでもなく裕福な家庭で育った幼少期のJRさんですが、仏のような子供ではなかったようです。

スリランカと日本、そして110年前と現代。国も時代も違いますが、JRさんは、どのような子供で、どのような家庭で、どのように育ったのか、紹介してます。

目次

その1、JRジャヤワルダナさんはジャイアン

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

その2、JRジャヤワルダナさんはのび太くん?

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

その3、JRジャヤワルダナさんの素敵な家庭 

srilanka-jr-japan.hatenablog.co

その4、JRジャヤワルダナさんの宗教

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

その5、JRジャヤワルダナさんはスポーツマン

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

 

【補足記事】日本の三大恩人!?八王子・雲龍寺を訪れてきました

元記事の補足記事になります。

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

 

日本再建ノ三大恩人 銅像建立報恩之記

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日本再建ノ三大恩人 銅像建立報恩之記


日本亡国

一九三一(昭和六)年九月十八日。日本は中国に難癖つけ兵火
を開き、侵略拡大十一年。彼我疲弊の極無謀にも四十一年極月
八日、釋尊成道の日、米国真珠湾に無通告の暴挙。鬼畜米英蘭
支に正義膺懲(ようちょう)の開戦とラジオが天皇詔勅を怒鳴る。
更に東洋諸国に無差別侵攻。爾来(それより)四年。相手国立ち
直り、不意打緒戦(はじめ)の勝利夢と消、陸海空三軍は詐称
(ごまかし)転進、敗退を続け、遂に全土灰燼に帰す。
’四五(昭和廿年)盂蘭盆会八月十五日、敵五十五ヶ国連合軍
に無条件降伏せりと天皇ラジオ放送。二千六百年神州不滅と
誇った大日本帝国遂に滅亡。天皇、政府、人民、国土。戦勝国
下に入り明日の運命分からぬ民草のみ残る。

  

 

JRジャヤワルダナ大統領について

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謝和得天寧大統領(ジャヤワルデネ大統領)

’五十一(昭和廿六)年九月四日。米国桑港(サンフランシスコ)
にて戦勝五十一ヶ国が日本処分の講和会議である。戦中、日本
にゴム等物資を奪取され苦しんだ錫蘭 [セイロン](翠藍華)[ス
リランカ]国代表謝和得天寧[ジャワエルデネ](現大統領)博士
は堂々佛陀の教えを説き、「報怨以恨 恨永劫不尽。忘恨報慈
悲「狂気の戦」は終った。彼我倶に疲弊の今、日本に即時独立
を許し、賠償等求めまい。日本は昔の通り亜細亜の兄、亜細亜
の老となってくれ。」吉田茂日本代表は感泣し、米国は深考。
ソ連圏は脱退し、四十八ヶ国の調印で、日本は分割統治から
免れた。

 

 

 蒋介石について

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蔣中正大総統
中華民国。十四年間全土侵攻され、二千万殺戮(ころ)さる。
東北は奪われ満州国とされ広大国土荒廃に帰す。
然るに日本降伏となるや、蔣大総統は、「以徳報恩」(とくをもって
うらみにむくいん)の大号令を発し、「悉く無事故国へ帰し、賠償等
求めてはならぬ。」と厳命。何應鉄将軍は船車総動員。日本軍民
二百十万の青壮を僅か十ヶ月にて家郷へ送還させた。東北侵攻
ソ連共産軍に老幼婦女は凌辱虐殺され、捕虜は酷寒シベリヤ
苦役幾年の果て、斃る十幾万。今も残留孤児の哀話絶えぬ例を
比較せば、蔣大総統、何将軍、中華人民の大慈悲忘れ得ようか。
日本の復興これより始まる。 

 

 

マッカーサーについて

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 摩訶薩元帥(マッカーサー元帥)
’四五(昭和廿)年八月丗日、連合国代表占領軍総司令官
諾楽摩訶薩元帥、厚木に飛来。午後二時〇五分、コーン
パイプを手に丸腰でタラップ下りる姿見て、生き残り日本人
はホッと安堵の胸撫で下ろす。
爾来(それより)七年。天皇、政府、官民悉く元帥の命の下
に生きる。昨日の敵が今日飢餓に瀕しているを見て、同じく
窮乏の本国より物資食料取り寄せて、元帥は一億餓死を
救ってくれた。農家は米を隠したが、民家は摩訶薩給与で
生き延びて「摩訶薩は神様だ。」と合掌した。まさに菩薩摩
訶薩(ボーサーマッカーサー)である。
足利正明創立の孤児院(村長の反対で閉鎖)、養老院、
保育園、老幼すべて米国食料で命を繋いだ。元帥帰国を
知り日本民衆は皆泣いた。

 

 

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報恩微衷
主恩忘れぬハチ公は庶民の感動で首都駅頭に銅像となり、人間
の師範となる。貴い人の身を享け恩を忘れて恩を忘れては犬畜生
に劣る。恩を仇で返えす鬼畜ふえゆく日本はどうなる。
大被害蒙った敵国の大慈悲で新日本は生れ、今日の繁栄を得た。
然るに、物で栄え心で亡びゆく今の祖国を悲しみ、四十余年前の
大恩忘れてならぬと子孫に伝うべく、その像をつくり、報恩の微衷
を捧げ後世への警鐘とする。

  一九八七(昭和六十二)年十月廿一日
  中華民国何應欽将軍
九十七才永眠ノ日
   天海山 丗七世 入笠沙門
曹洞宗大教師 足利正明
親友一同 

 

日本の三大恩人!?八王子・雲龍寺を訪れてきました

日本にあるJRさんゆかりの地の一つ、東京・八王子にある雲龍寺(うんりゅうじ)」を訪れてきましたので、紹介したいと思います!

前回の記事、愛知県愛西市の「明通寺」の話をまだ読んでない人はまずそっち読んでね。

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

 

 

明通寺を訪れた日の夜、夜行バスで東京へ向かいました(別に予定があったので)

もともと八王子に行く予定はなかったんですが、立ち寄る時間があったので急遽足を運ぶことに。

 

電車で向かうこと1時間。最寄り駅の「山田」駅に到着。(ちなみにこのブログ運営者の内一人の名字は山田。)

 

そこからあるくこと10分弱。

雲龍寺らしきお寺に到着。

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とりあえず挨拶だな〜と思うも入り口がよく分からず境内をとりあえずぐるり。

と、事前に調べた情報通り3体の銅像が!!

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左から

「J.R.ジャヤワルダナ」(スリランカ

蒋介石」(中国)

ダグラス・マッカーサー」(アメリカ)

 

 

このお寺の和尚さんは(※今はお亡くなりになっています)お釈迦様の言葉を引き、日本とスリランカの友好の礎を築いた講演に感銘し、この雲龍寺境内にJ.R.ジャヤワルダナさんの銅像を建立されました。

これを機縁に、同大統領が国賓として雲龍寺を訪問。以降国際的な交流が続いているそうです。

 

またJRさんと同様に、終戦後の日本を救ったとされる「マッカーサー」と「蒋介石」の銅像が並んでいます。

彼ら3人は敗戦後の日本を救ったとして「日本再建の三大恩人」と言われているそうです。

知らなかった!!!

 

 

 

J.R.ジャヤワルダナさんは「日本独立の恩人」

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蒋介石「日本再興の恩人」

(※中華民国初代総統。認知度が低いようなので詳細を下記に記載します)

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蒋介石の名で知られる将中正氏。
終戦後、「怨を以て怨に報いてはならない」とラジオで国民や兵士に呼びかけ、中国に残る日本軍への勝手な報復を禁じ、日本軍民を国へ帰しました。

この言葉に感激した当時の日本人は多かったという。

 

日中戦争時、毛沢東率いる共産党と共同して日本軍と戦ったことで名前が知られているかと思いますが、実は第二次世界対戦終戦後にこのような日本復興に繋がることをしていました。

僕もこの話は知りませんでしたが、JRさんと違って名前くらいは聞いたことありますよね。

 

 

ダグラス・マッカーサーは、「日本救民の恩人」

(※連合国軍総司令部GHQの元帥。説明不要ですよね?)

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隅っこのほうにも、彼ら3人の事を紹介する石碑がひっそりとありました。

なぜこんなにも雑に扱われているのか不思議でした。

読みにくいので別記事に詳細記載

 (そもそも言葉が堅すぎて読みづらいです。。)

 

日本再建ノ三大恩人 銅像建立報恩之記

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 一通り石碑・銅像を拝んだ所で、お寺のご住職さんをお尋ね。

ご住職さんの奥さん?らしき人がいたので、簡単にご挨拶してきました。

 

時間もなかったのでゆっくりとお話を聞くことができませんでしたが、

ゴールデンウィークスリランカに行くということを伝えると、、、

どうやらこの雲龍寺のすぐ近くに「正山寺(しょうさんじ)」というお寺があり、そこに在日スリランカ人のお坊さんがいて、2月からスリランカに帰省するとのこと。

もしかしたら案内してもらえるかもしれないということで、そのスリランカのお坊さんをご紹介していただくことになりました。(まさかの展開!)

 

やはりまずは行動あるのみですね。

その時は連絡がつかなかったので、一旦都内へ戻り(予定もあったので)連絡を待つことに。

 

夜、連絡をいただき、翌日また八王子まで足を運んできました。

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素敵なご縁をいただき、いい話になるといいなーと期待して行きましたが、、

 

とりあえず初対面ということでご挨拶。

事情を説明しゴールデンウィークスリランカに行くことも伝えると、

どうやらそのスリランカのお坊さんさんは1ヶ月くらいの滞在らしく

3月にはまた日本に戻ってくるとのこと。

 

タイミング合わずで今回は断念。

そんなうまいことコトは進まないですね〜。

 

最後に本堂なども拝見させてもらい、また来ますとご挨拶。

スリランカ人のお坊さんとお話する貴重な機会でした。

ありがとうございました〜

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銅像・石碑建立当時のお話をじっくりと聞ける時間も少なかったので、また伺いたいと思います。

 

あとゆかりの地の残りは、鎌倉と長野。

この2つも近いうち訪れたいと思います!

 

 

雲龍寺Map】

【正山寺Map】

【補足記事】 JRさんゆかりの地(明通寺)を訪れてきました。

元記事の補足記事になります。

srilanka-jr-japan.hatenablog.com

 

 

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故J・R・ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑誌

この碑は、1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコで開かれた対日講話条約で、日本と日本国民に対する深い理解に基づく愛情を示されたスリランカ民主社会主義共和国の、故ジュニアス・リチャード・ジャヤワルダナ元大統領を称えて、心からなる感謝と報恩の意を表すために、主に愛知県内の有縁の皆さまによって建てられたものです。

 J.R.ジャヤワルダナ元大統領は、この講話会議において仏陀(ブッダ)の言葉を引用され、「憎しみは憎しみによって止まず、愛によってのみ止む」と、講和会議出席各国代表に向かって日本に対する寛容と愛情を説かれました。そして、日本に対してスリランカ国(当時セイロン)は、賠償請求権を放棄することを宣言されました。

 さらに「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本が必要である」と強調して一部の国々の主張した日本分割案に真っ向から反対して、これを避けられたのであります。当時、日本がこの演説に大いに励まされ、勇気づけられ、今日の平和と繁栄に連なる戦後復興の第一歩を踏み出したことを、日本人は決して忘れてはなりません。

 本日、除幕式の行われるこの記念碑は、今日も、日々、絶えない争いの唯一の解決法として”共生”の理想を示す碑でもあります。

 この原点からこそ、真に平和な世界が生まれることを願って。

                     2016年(平成28年)10月9日

                 ジャヤワルダナ元スリランカ大統領

                     顕彰記念碑建立実行委員会

   ※英文省略

 

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じつに この世においては

 憎しみに 報いるに

 憎しみを以てしてならば

 ついに 憎しみの止むことなし

 

 憎しみを 超えてこそ 止む

 これは 永遠の真理である

      (ブッダの言葉「法句経5」)

 

 

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JRジャヤワルダナ顕彰記念碑建立プロジェクト

 この石碑及び顕彰碑は、民間の発意と多くの賛同をもとに、二〇一五年暮れから一年をかけて準備いたしました。

 当時、明通寺をお預かりしている者達と、金城正守が中心になり、明通寺総代会のご協力のもと、当寺ご門徒の服部夏奈様、また、明通寺の門徒方以外にも、有縁の刈谷大須賀守様、伊賀上野の稲垣正昭様をはじめ、百名を超える有縁の皆さまのご賛同を得て、感謝の気持ちを込め建立させていただきました。

 石碑の言葉は、ブッダの言葉ですが、宗教、思想、国、民族などあらゆる壁を超えて、人々が、共に穏やかに暮らすため、争いを解決する永遠不滅の真理として、本当に自分たちのものにしていく不断の努力を願っております。

              ジャヤワルダナ顕彰記念碑建立実行委員会

                   石碑制作施工:いせや庭石(株)

                  顕彰記念碑制作施工:(有)協明社

 

 

 

☆☆ブログ運営者による個人ブログでもJRさんについて書いています☆☆

tabiburo.com